『ヒナギク』アンデルセン童話を読んでみる。
どうも、ぼーひーです。
今日はアンデルセンの童話の1つ『ヒナギク』についてご紹介します。
まずヒナギク(雛菊)というのは和名の呼び方で、デイジーのことです。もとは地中海沿岸で生まれたヨーロッパのお花で、イタリアの国花になっています。ちなみにデイジー(Daisy)の名前の語源は"day's eye"日の眼だそうです。さて、アンデルセンはそんなヒナギクからどんな物語を書いたのでしょうか。
(量的に全部はお見せできないのであらすじです)
ここは、あるいなかの別荘です。
家の前には、色あざやかな花ばなが咲く花だんがあり、その回りには芝生(しばふ)がしきつめられていました。
その芝生にはひっそりと、一本のヒナギクが咲いています。
「ああ、わたしはなんてしあわせなんでしょう」
ヒナギクはお日さまをからだいっぱいに浴びて、いいかおりを運んでくる風を吸い込んでは、ウットリとヒバリのさえずりに耳をかたむけていました。
「でも」
ヒナギクはふと、思いました。
「ヒバリはきっと、あの美しい鳴き声を、花だんの花たちに聞かせようとしているんだわ。こんなところに咲いているわたしではなく」
ところがおどろいたことに、ヒバリは花だんに咲きほこるバラやチューリップには目もくれず、いきなりヒナギクのそばに舞いおりてきたのです。
「なんてかわいい花なんだろう、きみは」
ヒナギクは、夢ではないかと思いました。
ヒバリはヒナギクにキスをすると、また青空へ舞いあがっていきました。
花だんの花たちはそのようすを、いまいましそうにながめていました。
さて、つぎの朝のことです。
ヒナギクが、いつものように花びらをお日さまにさしのべたとき、ヒバリの歌声を耳にしました。
けれど、その声はきのうと違って、とても悲しげでした。
ヒバリは人間につかまって、カゴの中にとじこめられてしまったのです。
ヒナギクはどうにかして、ヒバリを救い出してあげたいと思いました。
でも、1本の花にはどうすることもできません。
そのとき、男の子が二人、家から出てきました。
「ここの芝を切りとって、ヒバリのカゴにしいてやろうよ」
男の子たちはそういうなり、ヒナギクもろとも、回りの芝をほりおこすと、家の中ヘ持ちこんでいきました。
こうしてヒナギクは、あこがれのヒバリとおなじカゴに入ることができましたが、カゴの中には水がなくて、ヒバリは今にも死にそうでした。
「かわいそうなヒナギク。きみは広びろした世界の身がわりに、こんな所に植えかえられて。でも、ぼくの心はそんなことではなぐさめられないのさ」
まもなくヒバリが死んでしまうと、人間たちは涙を流し悲しがり、赤い箱に死体を入れて、花びらで回りをかざって土の中にうめました。
ヒバリのことをだれよりも思いやっていたヒナギクは、一しずくの水もやらなかった人間が、死んだあとで悲しむようすを見て、とても腹が立ちましたが、そのヒナギクも、まもなく道ばたのゴミにされてしまいました。それから、だれひとりヒナギクのことを思い出す者はありませんでした。
いかがでしたか?
前半の幸せな雰囲気とは打って変わって、後半は雲行きが怪しくなってきます。
男の子たちはヒバリが生きている間にその苦しみに気づいてあげることができませんでした。たいしてヒバリの苦しみに寄り添い続けた優しいヒナギクはというと、無残に捨てられ忘れられるというなんとも切ない結末です。
この話はアンデルセン童話集(Ⅱ)に収録されています。情景描写も素晴らしいのでぜひ原作も読んでみてください!
それでは!